かつてソビエト連邦の最高指導者の地位まで出世したミハイル・ゴルバチョフ(1931-2022)は、その回顧録(「ゴルバチョフ回顧録」)をよむと労働生産性の向上をとても重視していた人物であったことが分かる。地方自治体トップを務めた頃、その自治体が中央政権から農業生産ノルマを負わされていたことが一つの原因でもある。
この人物が1970年代後半の西欧を訪れて農業・畜産業を見学し、農場や卸売市場を見て、効率の良い設備や仕組みを見て回った後、西欧の生産性の高さを作り出している最大の特徴として挙げたのは「働き手個人の利益」を尊重している点であった。その仕組み設計こそが生産性の高い農業・畜産業の仕組みを作っているのだ。
この回顧録が出た1995年から20年近く経って世に出され、後に著者がノーベル経済学賞を受賞した本に「国家はなぜ衰退するのか」(ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン)がある。
この著作は経済的に繁栄する国家とそうでない国家を比較しながら、繁栄する仕組みを紐解く著作である。そして結論は、中央集権を確立し、包括的な民主主義による統治を通じて、個人が働いたり発明するモチベーションを制度的に確保することであった。
優れた政治家・経済学者の識見がともに、「働く個人の利益を尊重する仕組みこそ組織・社会全体の繁栄を作り出す」と着地しているのだ。以上の話はいずれも社会全体の設計、すなわち法制度にまつわるものだ。
しかしその前提はあるにしても、仮に「努力が金銭的に報われるという環境設計を強めることで勤勉や創意工夫を引き出せる」という法則があるのだとすれば、企業にもこの法則を自社の追い風とするチャンスがあり得るのではないか。
企業の個人の利益尊重の産業史
企業には、個人の利益を尊重する方法が多く採用されている。成果をあげたサラリーマンに対する報い方とその普及状況として日本で見られるのは次のようなものである。
- 昇進させる
- 昇給する
- 賞与を積み増す
- ほんの心ばかりの株式を付与する
- 一財産築きうるほどの株式を付与する
並べてみると、1~3は既に広く普及が見られている。一方で、4、5については普及させるか悩んでいるのではないかという様子を感じる。統計は無いが4は「日系企業に普及しつつある」、5は「一部のPEファンド投資先や外資系企業で見られる」といった実態だろう。
実際のところ、このような報い方にはどんな効果が見込めるのだろうか。
経営のプロとして大きな成果をあげた元GM社長のアルフレッド・スローン(1875~1966)は、その著書「GMとともに」の中で株式をボーナスの形で付与した制度について以下のように述べている。
- ”GMがボーナス制度を採用したのは、1918年8月27日にさかのぼるが、今日に至るまでその基本精神は変わっていない。「GMと株主の利益を最大化するためには、主力となる従業員をパートナーと位置づけて、所属の事業部、そしてまた全社の利益にどれだけ貢献したかに応じて報奨を与えるのがよい」というものだ。”
- ”ボーナスは一部ないし全部がGM株式で支払われるため、経営の舵取り役が株主を兼ねることとなり、経営陣と株主の利害が一致するのだ。このため、経営陣は常に多数のGM株式を保有しているー「多数の」というのは、発行済み株式全体に占める比率が高いのではなく、個人資産に占める比率が高いという意味だが。個人資産のかなりの部分が自社株で占められていれば、経営者は単なる雇われ経営者としてではなく、株主と利益を一つにしていると強く意識しながら任務に当たれる。”
- ”ボーナス制度は、事業部制を有効に機能させるうえで、全社調整の仕組みと同じくらいの貢献をしてきたといえる”
すなわち、先の選択肢でいえば3~5の方法をボーナス制度として100年以上前から導入していたのだ。その額も、株式が経営陣の個人資産の大半を占めるほどの、GM株式の付与である。スローンは、そのことが経営陣に株主の意識を与え、全社として成果(=全社調整の仕組みが目指す成果)を追求するようにしてくれて、事業部制を有効に機能させたのだと評価している。
この制度が出来てから、その意味合いを理解するスローンが制度を運用してGMを導いていた期間(1956年に会長を引退するまで)には、GMは成長を続けている。(1918年の北米販売台数:約20万台、売上:約2億7千万USD、税引前利益:約3500万USD ⇒1956年の北米販売台数:約370万台、売上:約108億USD、税引前利益:約15億USD)
GMを観察していた経営思想家であるピーター・ドラッカーも、このボーナス制度については有効性を認めている。以下は1946年に出版された「企業とは何か」の一節である。
- ”独立した組織の長でありつつ、チームの一員であるという事業部長の二面性が最もよく現れ、かつ無用の摩擦を防いでいるのが、ボーナス制度の運用である。”
- ”事業部長は独立性を保ちつつ、チームの一員として行動する。景気と税制に大きな変化がなければ、小さな事業部の事業部長さえ、数年つとめると一財産できる。そのためクビを恐れず、自由に発言し、異議を唱え、思うように事業部をマネジメントできる。…(中略)…しかも、GM全体の業績が自分の所得に直結し、かつGMの株が財産の中心になっている。”
ここでは、経営幹部である事業部長の意識をGM株主の意識に合わせてくれるという効果のほかに、「ひと財産出来ているのでクビを恐れずに意見を言うようになる」という経営活性化の効用も述べている。
ひと財産できていてこそ意見が言えるようになるという法則は、ウォーレン・バフェットの「バフェットからの手紙」でも取締役の独立の考え方を題材として言及されている。
- ”最も独立していない取締役というのは取締役としての報酬が年収の大きな部分を占めている人で、ほかの会社の取締役として推薦を受け、収入をさらに高めたいと望んでいる人たちである場合が多い”
- ”彼らの多くはまともな人たちで、最上級の仕事をします。しかし、生計を脅かす行為となれば、阻止したいとの誘惑に駆られることもあるでしょう。”
まとめ
ここでは株式を用いてひと財産作れるほどの報酬制度を運用することが20世紀前半~半ばのGMという古い企業で機能した一例をみた。自動車市場拡大という時代の追い風はあったと思うが、当事者の言葉をあたってみると、制度の背景にある人間の理解は今も普遍的に当てはまる内容なのではないだろうかと思える。
もちろん悩ましい点は残る。組織にいる人間の性格次第だが、下記のような疑問もわくのではないか。
- ひと財産出来たとして、経営幹部は本当に社長に意見するのだろうか?「いつか社長に出世したいから気に入られるよう賛成ばっかり言っておこう」と思う者も結構いるのではないか?
- ひと財産出来たら、退職してしまう可能性はないか?経営幹部の仕事は財産を作った後もやりたいと思える仕事なのだろうか。
- ひと財産出来た経営幹部も退職が近づくにつれ、株主の目線のなかでも「短期的な利益創出を目指す株主の目線」になり、研究開発費や設備修繕費をケチったりし始めないだろうか?(見せかけの利益が出て株価が上がったところで、退職して株式を売却するのだ…)
- 株式が財産の多くを占めるからといって、全社の利益を優先するだろうか?わがままを言ってもどうせ大きな利益の違いは出ないだろうからと、思い入れのある事業部の人たちを思い浮かべ、事業部を優先しようとするのではないか?(GMが当時まとまったのは、単にアルフレッド・スローンへの尊敬から全社方針を尊重していただけでは…?)
現実の組織を見ながらではあろうが、検討できる経営施策の一つだと思う。