現在のPEファンドのかたちは1970年代あたりに米国で出来たと思うが、どのような人が業界を作り出したのだろうか。
これに関する資料として、かつて1988-89年にかけて交渉・手続きがなされたKKRによるRJRナビスコ買収の経緯について、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者が8か月もの取材を行い、その内容を整理して1989年に「野蛮な来訪者」として出版した記録がある。この著作のインパクトは大きく、金融業界の一つの取引という一見取っつきづらそうなテーマでありながらアメリカでベストセラーとなって幅広く読まれ、映画化までされた。
ウォーレン・バフェットによれば、その結果LBO投資(投資対象企業が借主となり資金調達する株式買収、比率によっては財務を危険にする)のイメージが悪くなったとされる。株主への手紙に下記の文章がある。
”…売り手にとって二つ目の選択肢は、ウォール街の買い手です。彼らは一時期、自らを「レバレッジド・バイアウト会社」と呼んでいました。しかし、1990年代初めにこの言葉に悪いイメージが付きまとうと -RJRとそれを題材にした映画『野蛮な来訪者』を思い出してくださいー 、彼らは慌てて名称を「プライベート・エクイティ会社」に変更しました。しかし、名前が変わっただけで、彼らが買えば資本が劇的に減り、負債が増大することに変わりはありません。” (「バフェットからの手紙」)
※実際に買収資金の9割以上を借入にしてしまう劇的な事例は当時出ており、経営破綻を招くことも1990年代米国には起きていた。これは「日本のPEファンド」で調べてある通りである。
そのような、世論にまで影響を与えた著作だが、その物語の主要人物として登場するのが冒頭に言及したヘンリー・クラビス(1944- )であり、この人物の様子も著者の多方面のインタビューから浮かび上がってくる。
この人物は1976年に世界的大手PEファンドのKKRを創業した3人の1人で、公式サイトでも履歴を辿ることが出来るし2024年10月に日経新聞の「私の履歴書」に登場しているが、やはり多角的なインタビューでとらえられた人物像には客観的な姿をとらえられる価値があるだろう。
この現代のPEファンドの創成期の主要人物でもあるクラビス氏は「野蛮な来訪者」での記者の整理によると、猛烈にエネルギッシュで事業拡大志向の強い人物である(太字が特徴、細字は紹介されるエピソード)
- 公私とも猛烈にエネルギッシュ
- 創業してから1日に16時間働いた
- その頃から働いた後には街に出かけ、パーティーに参加した
- やがてニューヨーク社交界の常連になった
- 豪華な住宅や別荘など富を得た後も1日に12時間働いた
- 対象案件で猛烈に拡大志向
- 元々のKKRは創業者のうち年長者のジェリー・コールバーグの意向で、「中小規模」で「友好的」な案件ばかりだった
- クラビス氏はより大規模な金額の案件を仕掛けようと主張して、しばしばコールバーグと意見が分かれた
- 敵対的な買収まで仕掛けようと主張して、しばしばコールバーグと意見が分かれた(但し資金の出し手の年金ファンドの意向もあり、市場で静かに株式を買い進める程度の時期が続いた)
実際に「野蛮な来訪者」を読み進めると、交渉での感情の高ぶりや軽いいたずらなどより感情豊かなエピソードが出てくるが、業界にとっては上記の2点がとても意味のある特徴だったと思う。
外面的なエピソードでなく、思想・信念といった点は日経新聞の「私の履歴書」で多く述べられている。資本主義を通じて社会を良くしようと考え、そこにPEファンドが役割を果たすことが出来るという強い信念の感じられる文章である。理念と猛烈なエネルギーを持ち合わせたリーダーだったのだろうと思う。