8/15は終戦記念日ということで、戦争を目撃した有識者や統計を辿る研究者たちの考えを辿りながら、日本にとって有意義な原因と予防策を考えたい。
「なぜ戦争は起こるのか」
戦争の原因を説明する言論には、国内政治体制、国内経済環境、国際情勢の3つの観点から語られているものがあると思う。一つ目の国内政治体制の観点から言われるのは、「暴走を止める仕組みがないから権力者の狂気を止められずに戦争を起こしてしまう」というものだ。確かに戦前の日本は天皇が権力を持ち、天皇から直接軍事の権力を委ねられた軍部を止められなかった。戦争も軍部の出先機関である関東軍によって開始されたので、そのように見える。
そうだとすれば、民主主義を確立した日本はもう安全なのだろうか?全く安心できない事情がある。戦争に突き進んだ大国ドイツは、もともと民主主義を確立した近代的な国家だったのだ。それがナチスというポピュリズム政党(既存権力を批判するポピュリズムの政党だったが、いずれは独裁を志向するファシズム思想の集団だった)の選挙による台頭からおおかた民主的に独裁国家に変貌し、戦争を起こしている。
ドイツの現場にいて考察を深めた人物の一人として、ピーター・ドラッカー(1909-2005)という思想家がいる。経営学、マネジメントの大家として有名だと思うが、彼が企業経営の研究に傾倒したのは自由企業社会の到来を予期したから(「企業とは何か」1946年)であって元々社会学者でもある。彼は1920年代~1930年代のドイツで暮らしており、ナチスというファシズムの思想がポピュリズム政党として徐々に勢力を拡大していく過程を目撃した経験を自らの研究と重ね、「経済人の終わり」(1939年発刊)を著して戦争の危険性を説いた。
その中で強調したのは、ポピュリズム勢力拡大の背景にあったのが、主に劣悪な経済環境への民衆の怒りと絶望があったことである。すなわち、既存の体制で生活が成り立たないような経済環境に置かれた民衆が、そんな環境を作り出している現体制への怒りと絶望を感じて、その否定を熱烈に説いた政党を支持し、よく聞くと論理的に矛盾していたり危険だったりする主張だと分かっていても支持を続け、戦争へ進んだというのがその分析である。ドラッカーの先述の本の要点は下記だ。
- ナチスドイツは著作・公約・演説で、経済活動の自由・民主主義・民族多様性など既存の思想を全て誤りだと否定した
- 責任ある独裁や、民族主義を述べていた
- 主張は戦争の危険や論理矛盾に満ちていたが、人々は「本気ではない」と考えて気にしなかった
- ドラッカーが行った1930年代の民衆へのヒアリングで、ファシズムの主張を突き詰めた場合に起こる詳細な内容(戦争を起こす、差別をする等)を、誰も本気で実現されると考えていなかった
- ファシズムの主張は矛盾していた(食品の「値下げ」と「値上げ」を同時に主張しているなど)が、民衆はそれを認識していたうえで、気にしていなかった
このような現状を観察したうえで、ドラッカーは ”個人の経済的自由が、自動的あるいは弁証法的に自由と平等をもたらすわけではないことが明らかになった為、ブルジョワ資本主義とマルクス社会主義の双方の基盤となってきた人間の本性についての概念、すなわち「経済人」の概念が崩れた” と述べた。社会の中で「自由と平等」を得られなかった絶望で、既存の社会制度を否定したいと考えたエネルギーこそが、政治的な危険に突き進んだ原動力だという分析である。
この書物には、1939年のうちにウィンストン・チャーチル(1874-1965)元イギリス首相から書評がついた。彼は資本主義を大量かつ安価な生産の手段として擁護しつつも、社会の破綻の原動力については同意している。
”産業全盛のころは、自由競争体制が自由と平等を与えるものとされた。ヨーロッパ文明において中核に位置付けられていたものが、この自由と平等だった。ところが今日、大衆は、自由競争体制を自由と平等の手段と見ることをやめた。ここに今日、われわれの社会の破綻の根源がある。”
”人がファシズム全体主義に逃げ込むのは、ファシズム全体主義を信じるからではない。今日の混沌に代わりうるものならば何でもよいからである。”
と書評の中で述べているのである。
なお、チャーチルの著書「第二次世界大戦」のなかで1930年代に至るまでののドイツでの世界恐慌のダメージについて言及がある。
- (第一次世界大戦後に)ドイツは、信じられないほど法外な賠償支払いを宣告された。
- 1919年から1923年のあいだの賠償支払いの結果として、(当時のドイツの通貨)マルクは急激に暴落した。(中略)中産階級の貯蓄は根こそぎになった。
- 米国の株式市場の崩壊により、米国で1929年から1932年に至るあいだに、物価のとめどない暴落と、それに伴う生産の縮小が広範囲の失業をもたらした。この経済生活の変動の結果は、世界的なものとなった。
- 1930年冬におけるドイツの失業者は230万人に達した。
これらは経済環境の不安定さが政治の危険を高めたというドラッカーとチャーチルの主張のうち、経済環境の厳しさが十分に裏付けられる情報だと思う。ドイツの場合は、確かに経済環境が悪く、ポピュリズムに走る人が多くいたのだろう。しかし一つの事例の話である。第一次世界大戦でひどい仕打ちを受けた恨みなど別な事情も当時のドイツにはある。一般に、民主主義社会は経済環境の悪化によってポピュリズムのリスクを高めるのだろうか?
これについてはかつて世界最大級のヘッジファンドであったブリッジウォーターの創設者レイ・ダリオが研究を公表している(リンク先のいくつかあるレポートのうち、Populismのレポート)。この統計調査によれば、戦前も戦後も(!)、上場企業株価が下がり失業率や経済格差が大きくなるにつれてポピュリズム政党がより多くの支持率を獲得しているという結果になった。このレポートの特徴は下記だ。
- 米国やドイツ、日本を含む10か国について、統計のある限り資産上位10%の資産割合、所得上位10%の所得割合、失業率の推移、金融市場環境を調べてある
- 10か国の14のポピュリズム政党の主要政策と台頭の時期を調べてある
特に日本については、1920年代に経済環境が悪いなかで政府の失策への怒りが高まり、右翼が政治家を傷つける事件が立て続けに起きた点、1927年の昭和恐慌でさらに経済環境が悪くなり、ナショナリズムが国民のあいだで高まった結果、1931年の関東軍による満州侵略は国民から共感された点に言及している。つまり、確かに国内政治体制が暴走を止められないものではあったが、その暴走は既に経済環境の悪化でナショナリズムの思想を強めていた民衆から強く支持されていたことが推察されるのである。
当時の様子を、三井不動産の元社長である江戸英雄氏(1903-1997)は、私の履歴書の中で次のように記している。
”昭和四年(1929年)十月にはウォール街の株の大暴落に端を発した世界恐慌が起こって、世を挙げての不況になり、特に日本の農村の長期不況は目を覆わしめるものがあった。…(中略)…長期不況の下で右翼および軍の青年将校や農村青年の一部に、不況は財閥と既成政党が結託して利益をむさぼっているためだとして、これを打倒して「天皇親政による錦旗革命を断行すべし」という国家社会主義的風潮が澎湃として起こってきた。”
まさに不況を起点として既存体制への不満が高まり、その革命的な破壊を掲げるポピュリズムが台頭する社会情勢の描写なのである。
猪瀬直樹さんの著作「昭和16年夏の敗戦」では1941年の戦争シミュレーション結果を当時の政権が冷静に検討して採用すれば戦争を防げたのではないかと投げかけているが、劣悪な経済環境で極度の社会不安に陥ってしまっていた状況を考えれば、論理的な正しさを政権幹部で共通認識化しても戦争を防ぐのはもはや無理だったと思う。
仮に東条内閣が敗戦のシミュレーションを信頼し、「危険だから戦争拡大はやめよう」と決めたとしても、新たな暴徒が政権を奪い戦争に突き進んだであろう。暴走が経済環境に打ちひしがれた国民に強く支持されるからである。
経済環境の悪化で社会不安が起きる現象は当時から民主主義国家であった米国でも例外ではなく、第一次世界大戦後の1920~1921年に不況に見舞われた際(失業率が10%を超え銀行倒産が相次いだ)、モルガン商会(現在のJ.P.モルガン)に対する爆弾テロが起こっている。(「モルガン家」ロン・チャーナウ)
次に国際環境の観点について、チャーチルは先に紹介した著作「第二次世界大戦」のなかで、ナチスドイツについていえば、イギリスやフランス、アメリカなどの有力国がドイツによるラインラント進駐の際に強く反発しておくなど侵略反対の強い意志を示していれば延期できたはずだと述べている。
”(1935年までに)国際連盟の権威に基く断固たる決定が行われていたら - それは容易にできたはずであった - 全体の成行きを阻止することができていたかもしれなかったのだ。ドイツはジュネーブの裁きの前に呼び出されて、徹底的に説明を求められたであろうし、また条約に違反して実行されたドイツの軍備と軍編成の状況を、連合国側の調査団に調査させることもできたであろう。あるいはまた、ドイツがこれを拒絶した場合は、ヴェルサイユ条約に従うことが保証されるまでは、実際的な抵抗の可能性や、流血を招くようなこともなしに、ライン橋頭堡を再占領することもできたであろう。このようにして第二次世界大戦は、少なくともいつまでも延期することができたであろう。”
延期であって戦争を起こそうとする意志を除けるわけではないが、国際環境が武力侵略をとどめる強い姿勢を打ち出すものであれば、抑止力にはなりそうだったというのが当時を生きた指導者の実感である。ただ、この考えには、米国との国力の差や反撃されることを理解しながら真珠湾攻撃を仕掛けた日本という反例があり、国際環境の認識は最重要ではないのだと思う。
すなわち、「なぜ戦争は起こるのか」の答えは、民主主義国家を起点とすると「経済環境の悪化で戦争の機運が高まるから」となりそうだ。この機運の高まりが実際に戦争まで至るかどうかでは国内政治体制の民主制度合いや国際環境の抑止度合いが関わってくるが、後者は万全にしていても防げるものではないのである。流れをまとめると以下の図式である。
民主主義国家として安定している⇒①経済環境の悪化で生活の苦しい人が増える⇒②主要な勢力までポピュリズムが台頭する⇒③暴力などで国内政治体制の歯止めが効かない状態(独裁など)になる or 悪化する⇒④国際政治の抑止がうまく行われない or 行われても狂気で暴走する⇒⑤戦争が起こる
自国の問題として考えた時、この流れを実際に途中で止めるには①の段階で予防することが最も重要である。
他国の問題として考えた時、この流れを実際に途中で止めるには①で支援して安定状態に戻すか、③まで来てしまっているなら④の抑止力を効かせることが重要になるだろう。
「どうすれば予防できるのか」
①の段階の予防はどうすればよいのか。レイ・ダリオの研究によれば、経済環境の悪化として観測していた指標は失業率、資産・所得の偏り、上場企業株価である。つまり、富の偏りを起こしすぎないように制御しながらも、活発な資本主義を保つという難しさがある。
この対応策について戦前まで含めた統計調査を伴う研究は、2024年にノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル教授の「国家はなぜ衰退するのか」にまとめられており、そこに答えがあるように思える。すなわち、国家の持続的な繁栄のためには下記の仕組みづくりを意識するのが良い。
- 人々の勤勉と発明を呼び起こす経済制度を作ること
- そのために、社会のあらゆる勢力を含む包括的な民主主義でルールや公共投資を決めること
- 結果1:財産権の保護や特許の保護、自由競争など、勤勉と発明に向けたモチベーションを引き出す法制度が作り出される
- 結果2:テクノロジーのより良い活用のための教育や公共道路など、基礎的な支援が政府の公共投資で作り出される
- そのために、行政・司法など多元的な権力が相互に監視してルールを守ること
- 結果1:規制の是非、公共投資や税制度の内容といった諸々の争いごとがおおかた公正に解決される
- そのために、社会のあらゆる勢力を含む包括的な民主主義でルールや公共投資を決めること
⇒これらの制度の下、人々が勤勉に働き発明を社会に活かすことで、働いた本人も社会も豊かな経済環境を保つ
日本はこのような制度やルールを作っているようには思うが、それでも「失業率、資産・所得の偏り、上場企業株価」といった社会の安定性を示す指標の数値を安定的に保つためには、権力機構が相互に監視しながらルールを守って動くという部分が問われることになる。
先の「国家はなぜ衰退するのか」では、この破壊の例として1990年代のペルーとベネズエラで起きた大統領による議会閉鎖など、世界中でこれまでに起きた行政権を握った者の横暴が多く挙げられている。議会に限らず、司法や中央銀行に対する弾圧も数多く歴史にある。この監視は包括的な民主主義が機能する場合にはメディアや財界など他の勢力からの反発で均衡に押し戻される。日本はどうだろうか。
そしてこうしたルールの下で勤勉と発明を発揮することを思う時、このウェブサイトのテーマでもある、中小・中堅企業を金融業界からより有効なアプローチで支援する(私は現代ではPEファンドがそれに当たると思っている)という取り組みも平和につながる。より有効に中小・中堅企業の資源を活かすことができれば、経済指標の改善によって経済環境を豊かにすることにつながるからだ。
もちろん業界を問わず、日々の業務やその改善の積み重ねも平和に貢献している。
曲がりなりにも国内政治制度を整備して日本にしてみれば、自国の暴走を防ぐ観点では、あとは日々の制度運用の監視、勤勉と発明が平和への道なのだと思う。ちゃんと働き、ちゃんと声をあげる(選挙やメディアへの反応など)ということだ。
他国の暴走を防ぐ④の観点では、その政治制度の包括的な民主主義確立を助け(内政干渉をしないで行うのは至難の業だが)、それが成った段階であれば経済環境を指標のチェックでモニタリングして適切な支援を行う…といった対応策が導かれるが、チャーチルが述べたように、有力国での連携をとって暴力を封じ込めるという取り組みがその達成までは常に必要とされるだろう。