内閣府の地方創生サイトから地方創生が達成されていると言える条件について読み取ろうとするならば、地域未来戦略の目標として掲げられている内容が該当するだろう。すなわち、一つの地方に住む人の視点で見た時に、
- 安全に暮らせる
- 医療・福祉サービスにアクセスできる
- 質の高い教育が受けられる
- 良質な雇用がある
という状態である。この状態を「地方創生された状態」として定義したうえで、その達成手段として、地域ごとの産業クラスターを作る、公共インフラを作る、デジタルツール整備といった具体的な施策目標が並ぶ構成で地域未来戦略が定められている。
産業史をみると、地方産業に都市部で勤めて見聞を広めた人材が集まり、上記のような地方創生を進めてきた事例が見出される。今回みていくのは、21世紀のPEファンドを通じた集合の事例と、20世紀半ばのUターンによる事例である。
沖縄県の経済情勢
沖縄本島をはじめ複数の島々からなる人口150万人ほどの沖縄県は、沖縄県公式サイトの令和6年版経済情勢資料や2025年度統計によれば、3次産業(サービス業)がGDPの85%超を占める産業構造(日本全体は70%超)で、特に年間GDPが約4.5兆円というなかで年間観光収入が約1兆円にのぼるという、観光業中心で経済が動いている地域である(県が一人あたり観光支出をアンケートで集め、訪問観光者数にかけ合わせて算出)。
県内ではOIST(沖縄科学技術大学院大学)でのディープテック領域研究、例えば量子やゲノムといった研究が活発であることが大学サイトからうかがわれ、イノベーション創出にも意欲的であるなど他産業強化の動きもあるが、地域の構造的には引き続き観光業が経済のけん引役になる確率が大きいと思う。
巨大な消費者地域ないし顧客となりうる企業群へのアクセス、サプライヤー企業や投資家へのアクセス、働いてくれそうな人材へのアクセスがどれ程あるか…といった観点から考慮すると(「競争戦略論」マイケル・ポーター)、客観的にみて事業活動には本州の他エリアと比べて厳しい制約がある。例えば巨大な製造業を築こうとする実業家が沖縄に生まれたとして、経済合理的に考えたならば、工場こそ地方都市に建てるかもしれないが、東京や大阪、名古屋ほか本州の大都市(ないし他国の大都市)圏での事業拡大を目指すことになるだろう。
一方で、温暖な気候やリゾート、城跡のような歴史的建造物など、観光資源は他の地域が今から得ようとしても得られない強みである。日本ならではの治安の良さやサービス水準を考慮に入れれば観光産業の競争力は世界クラスであるとも言えそうだ。ここまでくると、観光業が経済のけん引役になり続けることはかなり確度の高い未来だと思える。
それでは観光業に紐づければ中堅程度の大きさの製造業は成り立つのではないか、と思うかもしれない。かつて沖縄で活動したPEファンドは、まさにそのような領域で大きな成果を出し、沖縄県から製造業で東証プライム上場を果たした。カーライルによる、オリオンビール案件である。
沖縄県の地方創生に貢献したPE投資事例
カーライルは米国発のPEファンドで、オリオンビールは公式サイト沿革によれば1957年に沖縄で創業した老舗のビール製造会社である。オリオンビールは名護市に工場をもち、2010年代に海外販売の取り組みを強化していたが、更なる成長に向けて、2019年3月にカーライルおよび野村グループの共同出資する企業(オーシャン・ホールディングス)に株式を売却して協力体制に入った。
協力体制の中で実施した施策について、2025年の上場の際のカーライルプレスリリースにも施策項目が列挙されている(経営人材の登用による経営体制の強化、沖縄における観光需要の取り込みと海外でのブランド展開の拡大、製造能力の拡充とサプライチェーンの最適化)が、この取り組みの成果は目覚ましい。
>成果
まず買収前の2019/3期の業績は売上260億円・営業利益25億円ほどだったことが当時の日経の報道から分かる。
これがカーライルと共同での経営改善の取り組みを終えた後、2026/3期には売上300億円・営業利益43億円へと成長をとげた。売上は年間ベースで数%ずつの成長だが、営業利益は非連続と言って良いレベルで大きく伸び、何らかの付加価値(単価を上げられるブランド価値か、安く生産できる効率化などが推定される)が追加されたことが伺われる。
さらに有価証券報告書から見えてくるのは、2026/3期にもビール類売上の7割が沖縄県内であり、今も沖縄県との結びつきが強い企業であることだ。ただし、2020/3期にはビール類売上の88%が県内だったということ・売上総額は成長していることも併せて考えてみると、「県外」および「海外」への売り込みがファンドとの取り組みの中で成果をあげ、売上全体を押し上げてきているということになる。沖縄で製造し、外に販売するというビジネスが強くなっているのだ。
県外・海外への販売強化を実現し売上総額を押し上げたことは名護工場の稼働を高め、沖縄の雇用増や経済強化に役立ったことは想像に難くない。名護工場で直接雇用しているのはパートを含めて100名ほど(正社員62名+パート37名)だが、その仕入先や物流などまで経済効果が及ぶ。(改革着手前の工場雇用状況は不明)
また、保有する工場・ホテルへの設備投資も有価証券に記載されており、沖縄北部の大型施設ジャングリア沖縄には土地の賃貸をしていることでも知られる。沖縄観光業のリーダー企業の一つとして沖縄観光業に貢献していることも間違いない。
>施策
これらの成果創出について、まずはファンドのスカウトが、そしてスカウトされた人物の努力が見事に実を結んだと推定される。主要な人事は以下の通りだ。
- ファンド支援期間中、カーライルの呼びかけに応えて2021年に就任した村野一社長はソニーで海外法人(欧州、中東、南米)の代表を務めた経験や、複数の外資系企業日本法人で社長を勤めてきた経験を持つ人物である
- オリオンビールの海外事業拡大のプレスリリースには海外事業本部長にパトリック・ドウガン氏という名前もあり、調べるとファンド支援期間中に活動を始めている。大手ビール会社での販売部門上級幹部を務めていた人物である
※この優れた成果をあげた人物のうち、村野社長は2026/7に著作「オリオンビールはなぜ愛され続けるのか」を出されていた。ここではソニー時代に盛田昭夫から薫陶を受けたブランド価値の考え方や多様なマーケティング施策などまさに顧客開拓の成果につながったであろう思想・施策に加えて、地方創生を念頭においた企業立て直しの過程(すなわち、地域と会社の「循環成長型ビジネスモデル」の実現過程)が解説されている。
注力している施策としてIR資料(2027年3月期第一四半期決算説明会の資料)で筆頭に紹介されているのはブランド力の向上である。試しにAmazonをのぞいてみると(2026/9/19)、350ml×24本で複数社ブランドを比べて価格上位にいるなど、確かにブランド価値はついていそうである。
- サントリー ザ・プレミアム・モルツ:5303円
- エビスビール:5140円
- オリオンザドラフト生ビール:5059円
- 一番搾りキリンビール:4978円
- アサヒスーパードライ:4912円
- サッポロ生ビール黒ラベル:4880円
次に、投資期間中のオリオンビールは沖縄県の観光業界の強化にもつながるような有力な提携を実現している。それは2024年の近鉄グループホールディングスとの資本提携で、プレスリリースをみると、提携は下記の通り、近鉄グループのオリオンビール観光事業へのコミットメントを強め、その利益を分かち合う内容となっている。
- 近鉄グループホールディングスが、オリオンビールの持つ観光アセットに人材やシステムなどを提供する(ホテル人材派遣、ITシステムや会員プログラムの展開など)
- 近鉄グループの持つ百貨店など顧客接点において、オリオンビールの観光業(ビールも)のPRを行う
- オリオンビールの株式の10%を近鉄グループホールディングスが保有する≒上記の強力でオリオンビールが利益を増やしたら、近鉄グループホールディングスにも利益が還元される。コミットメントが強まる。
上記に加えて、有価証券報告書からは、オリオンビールに近鉄グループの幹部を一名取締役として招聘していることもうかがわれる。施策詳細は伺い知れないが、協力は相当に強固だろう。
これらの結果として、沖縄県から製造業の東証プライム上場企業が出てきたのだ。沖縄県の産業史に残るであろう成功例であり、PEファンドが地方活性化を大きく促進した一つの事例であると思う。
20世紀半の宮崎県
宮崎県は2025年10月で人口約100万人であり、2024年度の経済情勢を公開資料でみると年間GDPがおおよそ4兆円であり、観光消費額は別の公表資料でわずか2000億円未満であることがわかる。今では必ずしも観光偏重ではないし、観光業が目立って成功しているわけではない。
しかし覚えている人は少ないかもしれないが、20世紀、特に1950年代~1970年代にかけて宮崎県は観光業で大きな成功をおさめた地域だった。県の情報誌では、1974年には宮崎県に全国の結婚件数の3割を超える新婚旅行客が37万組訪れたことなどが特集されていて、ここで宮崎県内の観光業・交通を担っていたのが宮崎交通社であったと名指しで紹介されている。
宮崎交通を既存企業の統合により作り出し、宮崎県の観光業を強化したのが岩切章太郎(1893~1985)という実業家だ。この人は宮崎県出身だが大学から東京に出て住友本社に就職し、林業など3年半務めて1924年に宮崎に帰った。宮崎には親が運営に関わる企業がいくつかあり、地方銀行(宮崎農工銀行)の監査役など務め、商工会議所の副会長に32歳の若さで就任するなどしている。(「私の履歴書」岩切章太郎)
今でいえば、地方の有力実業家の子供が実家を継いだか、サーチファンドで若手が地方中堅企業の経営者に就任したようなものであろうと思う。
20世紀の宮崎県創生
後に中心的な活躍の場となる宮崎交通は、地元のバス会社4つ、港と内陸を結ぶ小規模鉄道会社を1940年代前半の戦時統制のなかで合併した。簡易な経緯は下記である。
- 1926年、岩切さんが県警幹部と話して宮崎市街自動車株式会社を設立し、社長となり、市内バスを運営
- 1938年、岩切さんが宮崎鉄道の社長に就任
- 1940年代前半、戦時統制の中、運輸省の移行も受けて県内のバス会社4つと宮崎鉄道を併合、岩切さんがその社長に就任
そしてこの過程で、岩切社長はバス会社の経営強化のために1930年代から宮崎県の観光地整備を始めた。海岸整備、公園整備、宿泊施設の整備などを始め、戦後に完成したのが日南海岸ロードパークであり、ここに先述の観光の成功がきた。フェニックス(ヤシの木の一種)の並木は岩切社長の整備の一環で出来たものであり、今も宮崎県の風景の名物となっている。これらの施策は、
”すべて観光は人まねではいけない。その土地土地の特徴を生かしながら、新しい美しさを作り上げていかねばならない”(同書)
”観光は小さい目先だけのソロバンをもっては何もできない。長い目で見た大きなソロバンをもってこそ、ほんとうの観光施設ができるのではないかと思っている。人が喜ぶという一点にピントを合わせて置けば、必ずいつかは、みんなに喜ばれる時がある。”(同書)
という方針から、自社に開発事業部という専門部署を作り、自ら考え出した施策を打ち出していったという。
この観光地整備のほかに、岩切社長は県外との空路が強化されるよう活動し、空港ビルを整備したりレジャー施設を作っている。
- 1954年、ANAが宮崎便を就航
- 1960年、岩切社長などの宮崎の経済人で宮崎ゴルフ株式会社を設立。同年宮崎カントリークラブ(ゴルフ場)を完成
- 1962年、岩切社長が宮崎空港ビルを設立し、空港整備に努力
- 1963年、宮崎空港ビル社でターミナルビルを開設。後に建築業協会賞
ゴルフは飛行場のターミナルビル、観光ホテルと密接に連携することで経営が成り立つと考えたということであり、かつゴルフコースにはコースごとに南国的な樹を植えてその樹の名でコースを呼ぶなど宮崎らしさを取り入れている。
まとめ
沖縄県、宮崎県とも、今回の例では元々地方経済を担う企業があった。
そこに広い視野を持つ経験を経てきたメンバーが経営者として登場し、そこから地方創生が非連続的な動きをして飛躍しているようだ。
沖縄では新たな販路が開拓され、ブランド価値も訴求され、沖縄県観光事業が加速されている最中である。
宮崎では地元の交通が整い、観光地が整備されて観光事業が一時期日本最高クラスで盛り上がった。今でも観光地やゴルフ場、空港、フェニックスの彩る街並みなどは残っている。
こうした優れた経済人の地方創生が今後も続いてくれるには、地方企業の後継者に期待するのも一つだが、更にPEファンド業界の活動によって地方企業へ有力な経営者、もしくはそれを目指す意欲ある人々が送り出されるパイプラインを強化することが有効ではないか(経営実績は持たないが意欲のある人の大きな成功例の一つとして、アルフレッド・スローンの事例がある)。
今後ますます地方経済界が発展することを応援したい。