日本では1872年に初めての鉄道が出来たが、特に1900年前後に鉄道会社が多く開業している。1906年に鉄道国有法が公布され、幹線鉄道は国有、地方の電鉄会社は民営という住みわけがなされた。おおまかに現在のJRが当時で言う国有、その他が民営の区分である。
(民営鉄道中心に、前身となる鉄道の設立年を記載)
- 1872年 新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通。政府事業
- 1881年 日本鉄道設立(今は無い)
- 1885年 南海電鉄設立
- 1894年 名古屋鉄道設立
- 1897年 東武鉄道設立
- 1899年 阪神電鉄設立
- 1902年 玉川電鉄設立(東急のごく一部)
- 1907年 阪急電鉄設立
- 1909年 京成電鉄設立
- 1910年 京王電鉄設立
- 1912年 西武鉄道設立
- 1923年 東急電鉄設立
- 1927年 小田原電鉄設立
(阪急阪神グループ)(東武鉄道)(日本民営鉄道協会)(東急電鉄)など
この鉄道設立についても市場には楽観と悲観の波があった。阪急阪神グループ創業者の小林一三の回顧録(逸翁自叙伝)では、日露戦争後すぐは楽観的に設立手続きが進められたが、1907年に反動が起こって市場が悲観的になり、阪急電鉄の前身のひとつ箕有(きゆう)電鉄の設立では資金集めの苦労(大阪周辺で集まらず、出身の関東で知り合いを回り集めた)が語られている。
これら鉄道事業の設立は一見すると単にベンチャー成功に見えるが、逸翁自叙伝をよく読むと、少なくとも小林一三の関わった箕有電鉄についてはそうでもなさそうだ。
- 箕有電鉄の直接の前身として語られていないが、小林一三をはじめとしてその重役や従業員は阪鶴鉄道という国有化された鉄道会社からきている。
- 阪鶴鉄道はベンチャーとして作られたところ上手くいかず、30%ほどの大株主の砂糖商人が株式を三井物産に売り渡したので、三井物産が経営をみていた会社。小林一三も三井銀行を辞めたところを三井物産の声掛けで監査役として入社した。
- 1906年に阪鶴鉄道が国有化されることになったので解散し、メンバーで新たな鉄道を検討した結果が梅田~西宮の運行を目指す箕有電鉄であった。
- 阪鶴鉄道国有化の後に設立された箕有電鉄は重役やその知り合いと大阪の銀行(北浜銀行)で株を持っており、北浜銀行が大株主(少なくとも11万株発行のうち5万株保有)だった。経営は小林一三が専務の立場から主導した。
- 箕有電鉄への三井物産の関与は続いており、鉄道敷設の資材は手配した。
小林一三に声をかけた段階で三井物産がどこまで腕を見込んでいたか不明だが(監査役なので、銀行の経験を活かしてほしい程度か)、業績不振の会社に第三者企業が多くの株式を得て参画し、人材を送り込み、既存の強みを活かして原料供給など事業を強化したという側面があるのだ。
今でも総合商社は阪鶴鉄道・箕有電鉄に見られたようなPEファンド的な事業の関わり方をしていると思う。三井財閥の回では井上馨侯爵の関わりがより強くみられたが、このように強力な第三者の関与・支援で経営が整い、やがて大企業の形を成していくというのは一つのパターンなのだと思える。自力での経営に困った場合、身近に「有力な第三者」の役割を果たせる企業・個人が見当たらないとすれば、現代では有力なPEファンドに依頼することが成功パターンの再現につながり得るのではないかと思う。