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産業史の読み解き

研究開発型企業の支援

公開日:2026/8/15

日本の大企業の中には、創業者の時勢に適合した研究開発により飛躍的に売上や従業員数を拡大し、一代で大きくなった企業が多くある。これらの企業の歴史をたどると、これらが創業社長のもとで成長を続けている間はPEファンドの出番は特に無さそうだと言わざるを得ず、このようなフェーズにある企業では、銀行の融資やベンチャー企業のマイノリティ投資くらいが役立つものであろうと思う。

例えば比較的古株として、創業者が1900年代に生まれたオムロンとホンダは技術への関心が強いリーダーのもとで優れた製品開発を行い大きく事業を伸ばした好例だ。以下、正確さを期してAIは使っていない記載である。

(オムロン)

創業者の立石一真(1900-1991)の足跡を日経新聞社の「私の履歴書」で辿ると下記だ。研究開発で相次いで成果を出し、戦後の混乱を乗り越えて1960年代に上場に到達した。公式サイトでは写真入りでいくつかエピソードが説明されている。

  • 熊本県に生まれ、熊本大学で電気化学を修め、1921年に兵庫県庁土木課に勤務、発電所建設調査など行うが1年で辞めた
  • 1922年、京都の配電盤メーカーであった従業員200人ほどの井上電機で工場に勤務した
    • 発電機用の機器の設計などを担った
    • 米国製機器を参考に誘導系保護継電器を開発、製品化に成功した
  • 1930年、世界恐慌のなかで希望退職となり、自身で取っていた実用新案を頼りに独立した
    • ズボンはさみを商品化した
    • ナイフを研ぐ機器のナイフグラインダーを商品化した
  • 1933年、レントゲン用タイマーを量産化した(立石電機製作所の名義利用開始、後のオムロンの創業年にした)
    • 1932年に病院のニーズを聞いて独力で開発し成功した
    • タイマー部品の保護継電器を他メーカーに販売し、会社を成長させた
    • 1930年代後半には工場拡張、東京出張所設立など拡大した
    • 1941年には従業員250人まで成長した
  • 戦争の混乱や労働争議を経て、1950年には総勢33人の企業規模まで縮小、保護継電器生産を継続した
  • 1952年に工場オートメーションの思想を勉強会で聞いて事業化を目指した
    • 研究開発して1953年から機器生産を始めた
    • 1962年には売上30億円、従業員数1700人となっており、上場を果たした

(ホンダ)

創業者の本田宗一郎(1906-1992)の足跡を同様に「私の履歴書」で辿ると下記だ。こちらも写真入りで足跡をたどりたい場合には公式サイトで紹介されている。

  • 静岡県に生まれ、機械いじりや飛行機ショーの見物などをして機械への憧れを募らせて過ごした
  • 1922年、東京の自動車修理工場であるアート商会へ奉公に出た
  • 1928年、のれん分けにより浜松市にアート商会浜松支店を設立、自動車修理工場で独立した
    • 自動車の研究開発を行い、当時木製ばかりだったスポークの鋳物製を開発、特許を取り受注を増やした
    • 1931年頃に工員50人まで拡大した
  • 1934年、ピストンリング製造の東海精機株式会社を設立した
    • 自動車修理工場は独立した工員たちと競争がたきになるのが嫌で閉鎖した
    • 鋳物のピストンリング製造に苦戦し、浜松の工業大学(当時は高校)の教授に聞いて改善した
    • 本田さん自身も聴講生として基礎知識を学んだ
    • 1937年に完成し、やがてトヨタにも納品するようになった
  • 戦争の後トヨタに東海精機を売却し、そのお金でしばらく休みながら次の事業を検討した
  • 1946年に本田技術研究所(ホンダ)を設立した
    • 自動織機を試して失敗した
    • 軍の使っていた小型エンジンを買い集めてモーターバイクを製造したら売れた
    • 1949年にオートバイ「ドリーム号」の開発に成功した
    • 1950年に東京営業所と、東京の組み立て工場を設立した
    • 1957年に東京証券取引所へ上場した
  • 1959年に世界進出を開始
    • 1959年に米国ホンダを設立した
    • 1961年にバイクの国際レース(TTレース)で優勝した
    • 1961年にドイツに欧州ホンダを設立した

いずれもこの時期の各社の成功には創業者の研究開発によるところが大きく、資金を提供するなどして活躍を支える程度が限界だろう。実際に設備投資で資金繰りに苦労する話は随所で出てくるため、そこが感謝されていることは間違いない。それ以外に「経営陣を採用で集める」、「販路を開拓する」といった外部支援は、重要な意思決定を創業者が高水準でこなしていることや、研究開発した人自身でトップ営業・展示会などで生産の限界を超えるまで販路を作り出していることから、PEファンドなど外部から入って新たに価値を出すことが中々困難そうに思う。

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